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16.己を尊び人に及ぼす

 人は案外、浅智恵である。世の中にたった一つしかない宝を一番粗末にしている。その宝は、己自身である。昔、あるアフリカ人にカッパを与えた。雨が降り出すと、それをたたんで、わき下にかかえ、雨にぬれなが歩いて行ったという。
 着物や金などは、大切にする、けちけちする。また、人から悪く言われたりすると腹をたてるが、その実、自分自身はいっこう大切にしておらぬ。
 いわゆる保健衛生に注意せず、命を縮めていることについては、ここに記するまでもない。人は働けば健康である。怠ければ体は弱る。それに、何とかして仕事をすまい、うまい物は食べたい、楽はしたいと願う。これは命を縮めたいという事になるのである。とりわけて、恐れ、怒り、悲しみ、ねたみ、不足不満の心、それはただに、一切の病気の原因になっているだけでない。生活を不幸にし、事業を不振にするもとであり、己の不幸を招く根本原因であることを知らぬ。

 最も己を大切にすることは、自己の個性を、出来るだけのばして、世のため人のために働かすことである。それには、仕事を怠け、研究を怠り、実をおしんでいては、とても出来ることではない。己の一切を学問にささげ、事業に傾け、仕事に没頭してこそ、はじめて異常の働きができる。

 己の、大きな向上、躍進、完成は、己を空しくすることである、身をささげることである。ここに必ず真の幸福が添うのである。
 己を尊ぶ心そのままを人に及ぼしてこそ、世界は尊敬の光につつまれ、愛の慈雨にうるおされて、地上の楽土が出現する。

 己を尊ぶ極は、ささげるにある。ここに人を尊ぶと己を尊ぶと、一如の絶対境が現れる。ささげ尽くして己がなくなった時、一切が己となる、天地が己となる。自他一如、捨我の絶対境である。人の喜びが、まことのわが喜びである。世と共に喜び、人の悲しみをわが悲しみとする。小さい己は、消えうせて、天地と共に生きる不死永遠の絶対境である。

万人幸福の栞 十七ヶ条 より


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15.信ずれば成り、憂えれば崩れる

 自信のないことは失敗する。練習するということは、その仕事なり、競技なりに慣れて間違いのないようにするのが、その形から見たところで、その実は、信念をつけるのである。信念をねりかため、ねりあげるのである。きっと出来るぞ、きっとやるぞ、と動かぬ信念がその事を成就させる。
 自信はモーターの馬力である、仕事の推進力である。形ではまだ出来ていないが、心ではもう出来上っているのである。
 信ずるという事は、事実そうであるから、それと信ずるのではない。そうであることは信ずるも何もない、もうすでにそうである。ほんとうに信ずれば、そうなるのであり、必ず信じた通りにさせるのである。

 「信ずるが故に神あり」とは、この事をいう。信ずる所に神が現れ、仏がまします。故に、「信は力なり」と言う。
 人は、縄をもっては、その肉体をしばることが出来るが、その精神をくびることは出来ぬ。人の心をかなしばりにしばりつけるものは、ただ一つ信(まこと)あるのみである。「士は己を知る人の為に死す」(『史記』)と言った。知ることは信ずることである。心の底から信じてくれる人には、ウソをつくことが出来ぬ。信ずる人をごまかすことは出来ぬ。

 人の世の交わりの本は「信ずる」ことであり、事をなす根本の力は信念である。決心の強いか弱いかによって、仕事の成否が決まるが、決心ということは、今までなかった事を、こうしようと信念を定めることである。「ちかい」(誓)というのは、人と人とが、また人が人以外のものと結びあって、信念を固めることをいう。
 「祈り」は、神にすがって信念を確立するのであり、大宇宙の大信念と一致しようとするのである。「祈るときすでに成熟したものと思え」とは、そのことである。

 悪人を善人にする惟一つの道は、信ずるにある。悪人だから信じられぬというのが常識であるが、悪人だから信ずる。信ずるから悪をしないのである。信は、動いて愛となる。そして、すべてをうるおし、すべてを充たす。信には欠けるところがない。信は成し、信はみたす。

 憂えるのは疑うからである。あぶないから憂えるのではない。憂えるから失敗する。憂えるからあぶない。病気は恐れ憂えるから長びく、重くなる。事業は憂えるから崩れる。農業のような自然力によった仕事でも憂えるから実りが悪くなる。憂えるの反対は、喜ぶである。希望にもえること、信ずることである。喜びより発して、信に帰る。愛は信より発する光であり、熱である。人生は信によって成る。乱れは信の欠けたところからおこる。

万人幸福の栞 十七ヶ条 より


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14.希望は心の太陽である

 夜が明けたから、日が出るのではない。日が出たから夜が明けて、天地が明るく、万物が眠りからさめて、生々と活動をはじめるのである。夜になっても、太陽はなくなったのではない。地球はいつも太陽の明光の中につつまれ、温熱の胸にいだかれている。ただその半分だけは、静かに休ませて、明日の働きを一段と活発にさせるために、黒のヴェールでつつんでいるのである。
 希望は心の太陽である。つごうがよいから希望を持つのではない。一生に二度と出くわせことの出来ぬ仕事だから希望を持つのである。天から与えられた命、親からいただいた体、世界にたった一つのこの肉体だから、その前途にもえるような希望を持つのである。

 一時の苦しみ、しばしの痛み、それは更に大きく、いよいよ健康に進み高まるための、しばしのくらがりである。これが去ったとき、夜明けのような公明の舞台が開ける。雨後のような晴ればれしさがめぐってくる。夜になったといって、だれが悲しむ者があるか。休みの時がきたのだ、すでに明朝が近づいたのだ。必ず明日がくる。

 悲観は、雲である。憂いは、霧である。さわやかな希望の薫風で吹きはらおう。燈火を明るくしよう。そして高く掲げよう。燈を太くしただけ、高くかかげただけ、必ず前途は打ち開ける。
 今日に希望をもとう。明日に希望をもとう。前途にようようたる希望をもとう。仕事に、研究に、また身体に、日に月に新たな希望にもえていこう。

 うまく行かぬから、望みを失うのではない。望みをなくすから、崩れて行くのである。みかけがよく見えたり、悪しく見えたりするのは、ただ表面の変化であり、一時のきまぐれで、かえっておもしろい事である。それは、すでに大きくのびるための、一時の屈曲であり、高くのぼるためのふんばりである。
 常に心の燈火を高くかかげ、希望を強くもやし、仕事に情熱をこめよう。友に光を分とう。家の、村の、町の希望のみなもととなろう。
 国の発電所となろう。民族の太陽となろう。
 太陽の光と熱とが無限であるように、希望はいくら燈しても尽きる日はない。いくら高めても、高すぎることはない。
 あなたの仕事に、無常の希望をもちましょう。
 あなたの体を、無限の希望でつつみましょう。
 あなたの人生は、不断の希望の燈火でもえ立たせましょう。
 太陽の焔、天日の輝き。
 希望は、常に若々しい。
 希望は、永遠の光である。

万人幸福の栞 十七ヶ条 より


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13.本を忘れず、末を乱さず

枝葉のことには気をつけるが、何事につけても本を忘れがちである。初めは注意深くしっかりするが、終わりは、どうにでもなれ、やぶれかぶれだ。これは世間にありがちのことである。スタートを切るそのとたんと、ゴールに入るその一瞬、それで一切が決まる。ただそれだけではない。
世の中のことは、過ぎたらもうそれでよいというものではない。苦しんで入学試験を受けて、登校が許された喜びの日を忘れ、勉強しようとして学問を志した事を忘れるから、怠ける、あやまちがおこる。

開店の日の意気込みと、友人のよせられた厚意を忘れるから、少しの困難にも、気をくじかせる。終始一貫ということは、成功の秘訣であるが、これが出来ないのは皆本を忘れるからである。
世に「恩を忘れるな」ということがやかましく言われるのは、本を忘れるなという意味である。食物も衣服も、一本のマッチも、わが力でできたのではない。大衆の積重なった幾百千乗の恩の中に生きているのが私である。このことを思うと、世のために尽くさずにはおられぬ、人のために働かずにはおられぬ。

そうした中でも、最も大切な、わが命の根元は、両親である。この事に思い至れば、親を尊敬し、大切にし、日夜孝養を尽くすのは、親がえらいからではない、強いからではない。世の中にただ一人の私の親だからである。私の命の根元であり、むしろ私自身の命である親だからである。

ちちのみの父に似たりと人が言ひし我まゆの毛も白くなりにき (僧 愚庵)

年をとると、年々父に似てくる、母に似てくる。食べ物、飲み物、顔形、くせ、考え方まで。なつかしの父母よ。
親が病気をするのは子が不幸だからである。現にこれに気がついて、その子が行いを改めたため、親の不治の病は直った体験は、『新世』誌上に次々に発表せられる通りである。
ほんとうに、父を敬し、母を愛する、純情の子でなければ、世に残るような大業をなし遂げる事はできない。いや世の常のことでも、親を大切にせぬような子は、何一つ満足にはできない。
親を通して己の生命の根元にさかのぼれば、そこに神仏に帰る。敬神崇祖、即宗教に入ることが、真の人となるゆえんは、ここにある。

「立つ鳥跡をにごさず」といわれる。あと片づけをせず,使った道具の手入れをせず、靴を揃えぬ、傘のしずくを乾かさぬ、こうした事は身のたしなみとしての単なる作法だとか、行儀とかと心得ているのが、これまでの考え方であるが、これを忘れることが、いろいろの不幸の原因となのである。
ある家の子供が、もう相当な年齢になっていても、小便をするに所と時を選ばぬ。困りぬいたあげく、喜んで、すべてのあと始末をする決心をして、両親がその生活をかえた時、ぴったりとこれが直った。子供のよだれくり、自分のもの忘れ、犬猫等家畜の不始末等は、こうした末を顧みない、だらしない心境の反映であることが多い。

ただそれだけではない。こういうしりのしまりのない人々の仕事は、多く七八分まで行って崩れる。もう大丈夫というところでガラリと行く。そしてこれを他人のせいにし、時勢の罪に帰せようとするが、実は、皆己の心境の反映にすぎない。
小さい事に末を乱す人は、大切な事に終わりを全うしない。その極は悲惨な死様をすることにさえなるのである。
昔の人は死を重んじ、りっぱな死に方をしたいと念じた。正しく生きた人でないと、美しい死に方はできぬ。見事な死にようをした人は、見事な一生を貫いた人である。

万人幸福の栞 十七ヶ条 より


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12.得るは捨つるにあり

「気づいたらすぐする」ことが物事をしとげる秘訣である。又大切なことは、充分に研究調査し、準備を完全にして、時がきたと思えば、一気かせいにやってやりぬく。おしておして押し通す。
しかし一度には出来ない事が多い。第一回にうまく行かねば、第二回、又第三回と、何度も何度もくりかえし、うまずたゆまずくりかえす。点滴石をうがつ、堅い土に棒杭を打ち込むようなもので、何度か打っている間にぎっしりと入って、もうこんりんざい動かなくなる。

又最初失敗すること、これは尊い月謝である。喜んで又改めてとりかかると、いつか大きな成功の栄冠が輝く。しかし、どうしてもできぬ事がある。行くも帰るも、にっちもさっちも行かなくなる。その時である。古今独歩の妙手は、こうした無類の窮境に生まれる。東西無比の秘術はこの時生まれるのだと思って、何の未練も、予想も、後悔もなく、きれいさっぱりと捨ててしまう。

こうした一生に二度と出会うことのない大境地に陥った時こそ、度胸の見せどころである。一切をなげうって、捨ててしまう。地位も、名誉も、財産も、生命も、このときどういう結果が生まるであろうか。
まことに思いもよらぬ好結果が、突如として現れる。いわゆる奇跡というのは、こうした瞬間に起こる、常識をはるかに超えた現象になづけたものである。

重病人が、しずかに自分の天職を考えて、「ああ私は、畳の上で死ぬのではなかった、船乗だった、よし船で死のう。かついで行って乗せてくれ」と、愛船にかつぎ乗せられた。その瞬間、死の直前にあった脚気が一時に直ったという。こうした体験は、会友の間では、奇跡ではなく、もう常識になっている。

事業の上でも経済の上でも、その他奇禍にあった場所でも、恐れ、憂え、怒り、急ぎ等々の私情雑念をさっぱりと捨てて、運を天に任せる明朗闊達な心境に達した時、必ず危機をのがれることが出来る。見事に窮地を脱することは、古人の体験であり、「給すれば通ず」とは、このことをいうのである。
この事実は会友の幾百千の実験が、はっきりと証明するところである。

万人幸福の栞 十七ヶ条 より


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11.物はこれを生かす人に集まる

「物は生きている」と言ったら、半分は「そうだ」と言い、半分は「そうでない」と言うだろう。しかし物はすべて生きている。着物も、道具も、機械も、金銭も皆生きている。
大切に使えば、その持主のために喜んで働き、粗末にあつかえば、すねて持主に反抗するだけでなく、時には腹立てて食ってかかる。けがをするというようなことはこうした場合が多い。

朝晩、道具を拝むようにして働く農夫や大工が、その道具でけがをするというようなことはない。不平不満でぶつぶつ言い、機械をかたきのようにいやがり、奴隷のようにこく使している人は、その機械の運転がまずく、時には大けがをすることさえある。仕事に精根をかたむける人は、まず用具の手入れを十分にし、用具を大切にする。
用具をわが手足の如く大切にし、衣服をわが体の如く愛するだけでなく、農夫は作物を、生産人はそれぞれの生産品を、わが子の如く愛し、慈しむ。そうした人たちによって、この上もないよい物が、たとえようもなくたくさんに生み出される。
物を象徴し、すべての財を具象したのが金銭である。金銭は物質の中で、最も敏感な生物である。金銭はこれを大切にする人に集まる。ある富豪は必ずドウマキをもっていて、現金は肌身はなさず大切にして旅行した。ある人は、さつには必ずヒノシをかけてしわをのばして大切に保存した。人ごみの中に行った時は、金入れを必ず手でおさえていた。
しかしこうしたことは、金銭を大切にするほんの一面で、ほんとうに大切にすることは、むだに使わぬことであり、さらに金銭を生かして使うことであって、これがその頂上である。

物は、人と同じように生きている。人が徳の高い人のもとに集まるように、物もまた少しでもよく働かしてくれる人のところに集まる。物をほんとうに働かすとは、使うとき思いきってこれを使うことである。ケチケチするのは、金銭を生かす事にはならぬ。大胆に、喜んで、すぐにこれを出す。これが生かすこと、金を働かすことである。それで我欲の人は金銭を自分一人のために、自分の勝手のためにのみ使いたいという心であるから、活動したい子供たちを、親の勝手にしばりつけておくようなものである。
実は、金銭はその人の努力に正比例し、欲心に反比例して集まってくる。財貨は、喜んで働く人に自然に恵まれる。欲心のあるだけ差引きされる。

大富豪は、実は無欲至誠の人でなければ行けない境地である。
世には、報酬を要求し、金銭を請求するのを賤しい事のように思う人がある。取るべき金を取り、請求する金銭を妥協なく要求することは、何らはずべきことでないばかりでなく、かえって、生活にはっきりと筋道を立てる所以である。
しかし人の働きは、金銭によって値打をつけられるようなものではない。又働きの時間や分量によって、いくらいくらと計算されるようなものでもない。働く人の心=喜んでいるか、いやいやながら時間をつぶしているか、まことを傾けて一心に働いているか、千差万別である。
これをはかりにかけて一々計算したならば、一律の報酬では不公平極まるものとなるであろう。これは一体どうなるだろうか。一見不合理のようではあるが、長い目で見ていると、まことの働きによらずに得た金銭は、不時の入費の為に飛んでしまう。あるいは又、金銭のためにかえって苦しむということになる。金がある為に不幸になるのである。だから「金銭はその人の働きに応じて、自然に恵まれるもの」ということが、わが民族の総合体験であり、我等が会得した人倫の哲理である。

一方、欲がなければ金銭に恵まれぬという事も、一応考えられる事である。なるほどごう欲な人は金をためる。しかし金の為に、その人は幸福になったか、苦しむ事はなかったか。人からの恨みによって不幸に陥らなかったか。世にそうした不浄な金のために苦しむ実例は多い。
本当に身につく金銭を得る人は、無欲の人である。大事業家は、無欲の人である。事業は欲心で左右されるようなものではない。ただせずにおられず、仕事そのものがすでに無上の喜び、無限の恵であって、歓喜にみちて働く、そこに事業はおのずから成功し、金銭は自然に集まるのである。
二宮尊徳先生が、弟子に示したたらいの水の例話のように、欲心を起こして水を自分の方にかきよせると、向こうに逃げる。人のためにと向こうにおしやれば、わが方にかえる。金銭も、物質も、人の幸福も亦同じことである。

物はこれを愛する人によって産み出され、これを大切にする人のために働き、
これを生かす人に集まってくる。すべて生きているからである。

万人幸福の栞 十七ヶ条 より


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10.働きは最上の喜び

人はただ生きているだけでは、何の意味もない。働いてはじめて生きがいがある。働いている時が、ほんとうに生きている時である。何もせずに、ぼんやり過ごした一日は、死んだ一日である。
じっとしていなければならぬほど、困ったことはない。仕事のない時ほど、つまらぬことはない。職を止めると、間もなく死んでしまう人も多いのは、仕事がなくなると同時に、気がぬけてしまうからである。

そして働く人は健康であり、働く人は長命である。世の人は、身体が悪いから働けない、というように考えているが、それは反対である。働かないから-こわごわと恐れたり、いやいやながらなまけたり-働く心にならぬから、体が弱々しいのである。病気になってからでも、出来る仕事を心配なく働き続けていたら、それ以上悪くならないばかりでなく、次第によくなってくるものである。実は本当の働きの意味を知って働きはじめると、たいていの病気が治ってしまうのは、ここに幾百千の体験が証明している。

働きが一切であり、働きが人生である。働きが生命である。この働きは、そのままに、必ず「報酬」がついている。金銭でうける「報酬」は、多少があり、不公平があったりするかもしれぬが、この自然にして当然に受ける報酬は、必ず働きに比例して、落ちもなく、忘れられもせず、必ず直ちに与えられる。それは「喜び」という報酬である。真心で働いた時、必ず喜びがわく。何の期待もなく、予期するところもなく働いた時、おのずからに感ずる喜びは、他のどんな喜びにも替えることは出来ない。

まことの働きには、すでに「喜び」という無上の報酬が与えられているので、いわゆる普通の給与は、喜んで働く人を、養い、歓待する天のめぐみである。いや、自然に与えられる割増金であると、感謝して受けるのがほんとうであろう。
世に楽しみは多い。好きなものを食べる、美しいものを見る、よい着物を着る・・・いろいろの喜びの中で、どれほどつづけるも、如何にひどくても、いよいよ高まり深まって行くのは、働きに伴う喜びである。地味で素朴で尽きぬ喜び、中でも、まことの働きにより、人を助け、人を救い、人の喜びをわが喜びとする、その喜び、これこそ地上無比の喜びである。

元来仕事そのものには、上下貴賎の別があるのではない。職業には尊卑はない。自ら軽んずる心を持つ働きを人が賤しいと思い、自ら重んじる職業を人が尊ぶのである。つまらぬ仕事だとか、いやなことだとか考えて、仕事の好ききらいをする。こうした人は、一生涯たましいを打ち込んだ仕事につく事は出来ず、人生のまことの喜びを満喫することは出来ない。

自分の只今就いている仕事の尊さを悟って、けんめいに働く時、自然に与えられる楽しみ、これは何物にも替えることが出来ぬ人生の喜びである、最高至上の歓喜である。
真の働きは喜びを伴うだけではない。肉体の健康も、物質の恩恵も、地位も名誉も、おのずからついてくる。人が生きているということは、働くことである。働く喜びこそ、生きている喜びである。

万人幸福の栞 十七ヶ条 より


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9.約束を違えれば、己の幸を捨て他人の福を奪う

「きめごと」というのは、大は天体の運行、四季、昼夜のめぐり、小は火、水、電気などについてのことなど、これまで学者が研究し、発見したすべての法則。それは、はずれるとすぐけがをする、損をする。夜は燈がないと仕事ができぬ。雨の日に傘がないとぬれる・・・・・。
火はやけどをするし、電気はビリリと来る。こうした自然の約束は、知る限りは必ず守る。守らぬと身を亡ぼし、命を失う。

人の決めた約束はどうであろうか。いかめしい手つづきで決めた法律、あるいは人がよりあって定めた、いろいろの規約、これは人の決めたものだから、守る守らぬは、そんなに厳密なものではない。時によると、うまくのがれれば得をするといったふうに、人のきめごとは、あまく見ている。これは大変な誤りである。法律も、規約も、人が何人か集まって、同じ目的で仕事をし、生きていく為には、なければならぬきめごとである。だから、破れば皆が困り不幸になるということは分かる。が、これを破ったからとて、知れねばそれだけ得をすると考えるのが、低級な間違った常識である。たとえば、さぎどろぼうが、働きもせずに、もうけてよかったと思うようなものである。ことに、いわゆるやみで儲けた、と得意になっているようなものである。

これは、大変な考えちがいで、少し目を洗い、耳をそうじして世間を見ていると、法網をくぐって出来た金銭、財産は、その人の身につかぬのみか、かえって、その人を、家を不幸にする。それこそ、一件の例外もなく、一人のもれもない。少しく頭のよい注意深い人は、これを一々の実例に見て、天の記録の精密さ、そのむちのきびしさに襟を正す。天をおそれるとはこの事である。

これ以外に、普通約束といえば、何かある時、人と人とが約束したこと、きめたことと、考えられている。これも亦、破約の場合、間違った人は別に損得はないが、破られた方が損をすると考えられている。これも見かけの上の事で、破った方は、守らなかった責任がある。これがただ道徳上の責任というだけですむように思われている。それが実はそうではない。破った方が、必ずその責めを分担せねばならぬこと、いやでもきらいでも、その責めを実生活の上に負わされて、困りぬいている実例の多いことは、この絶対倫理の一々立証しているところである。

とりわけて、きびしい破約に対する天の罰は、親子夫婦等の血縁の間の「きめごと」である。これはまだ世に明らかにされていない、ひめごとの幕に包まれている。絶対倫理はこの秘密の扉を開いて、血縁のきめごとの誤りからきた肉体上の苦痛を、見事に解決している。

ことにきめごとの中で、時間を守るという、文化人として最初のテストに見事に落第した日本人は、今日ただ今を期して、まず時間を正しく守ることからはじめて、生活をたて直さなければ、再びその時は来ないであろう。

万人幸福の栞 十七ヶ条 より


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8.明朗は健康の父、愛和は幸福の母

一人の明朗な心境は、その人の肉体健康の元であり、家庭健康の中心であり、事業健康の根源である。うち沈んだ、暗い、よわよわしい心の持主は、きっと体が弱い。病弱の人が一人でもあると、その家庭は梅雨時のようにじめじめする。そうした家に住む人は心がにぶる。張をなくし、気おくれする。決断力がにぶる。何をしてもうまく行かないのが当然である。

明朗な心、一日も一分も曇らせてはならぬのは、人の心である。朝はほがらかに起き、昼はほがらかに働き、夜はほがらかに休む。昨日も明るく、今日も明るく、明日も明るい。家の中も、工場も役所も、電車も汽車も、朗らかに明るく、そして町が、国が、地上が、春のように朗らかに、秋のように明るく、健康にのびる、実る、栄える。

真に正しい事とは、まず己が救われ、それと一緒に人が救われることでなくてはならぬ。明朗こそ、まず己が救われるともしびであり、己のかかげたこの燈火で、人もまた救われる。そして世の中が光明にかがやいて来る。朗らかな人の心は、世のくもりを照らす光である。明朗は、万善のもとであり、健康の朝光である。

人を生み、育て、やしなう、これは親の愛である。家庭をつくり、社会をいとなみ、人の世の幸福と文化を生み出すもとは、人の愛である。
「親切は社会と社会をつなぎ合わせる金の鎖である。」(ゲーテ)
「愛と信頼とは万人の心霊にとって唯一の母乳である。」(ラスキン)
愛の乳は、出しても尽きる時がない。いや、出せば出すほど、良いものが多量に出る。愛のパンは、いくら分けてもなくなることがない。分ければ分けるほど、かさが増えて、余りができる。
愛は母乳の如く、与えぬと涸れてしまう。井戸水のように、汲まぬとくさってしまう。無尽蔵とは愛の倉につけた名であろう。この愛によって、すべてのものが、それぞれの個性のままに、育ち栄える。

愛にみちあふれて、皆がその所を得た有様を和という。一ぱいにたたえた姿、欠けた所がない、うらみも、そねみも、争いもない、みち足りた喜び、これが和である。自然は調和の姿である。宇宙は大和の相である。春の花、夏の栄、秋の実り、冬の充実、一つとして和の姿でないものはない。

愛和は本と末、原因と結果の関係が愛によって和を得た相、和のもとは愛である。そしてこの愛和は、すべての幸福のもとである。親子夫婦のたてよこ十字の愛和は、家庭の幸福のもとであり、親子、長幼の縦の敬慈、すべての人の横の愛和、協力が、社会一切の幸福を生み出す。
「おのれの如く汝の隣を愛すべし。」(「マタイ伝」二二ノ三九)
「仇を愛し汝等を責むる者のために祈れ。」(「マタイ伝」五ノ四四)
「すべて分かれ争う国は亡び、分かれ争う町また家はたたず。」(「マタイ伝」一二ノ二五)
「愛は悪に対する唯一の武器である。」(ガンジー)
愛は万物を生み育て、和は万事を結実成就させる。

「万人幸福の栞」 十七ヵ条 より


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歩む者のない道           ロバート・フロスト

黄色い森の中で道が二つに分かれていた
残念だが両方の道を進むわけには行かない
一人で旅する私は、長い間そこにたたずみ
一方の道の先を見透かそうとした
その先は折れ、草むらの中に消えている

それから、もう一方の道を歩み始めた
一見同じようだがこちらの方がよさそうだ
なぜならこちらは草ぼうぼうで
誰かが通るのを待っていたから
本当は二つとも同じようなものだったけど

あの朝、二つの道は同じように見えた
枯葉の上には足跡一つ見えなかった
あっちの道はまたの機会にしよう!
でも、道が先へ先へとつながることを知る私は
再び同じ場所に戻ってくることはないだろうと思っていた

いま深いため息とともに私はこれを告げる
ずっとずっと昔
森の中で道が二つに分かれていた。そして私は・・・・
そして私は人があまり通ってない道を選んだ
そのためにどんなに大きな違いができたことか
                          1916年

人生は選択の連続です。今、どうしたらよいか決められないということは
今決めないと自分で選択しているのです。時間は戻って来ません。
勇気を出して進みましょう。その先に、大きな違いがあるのです。


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水沼 修
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男性
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不動産業、相続アドバイザー
趣味:
読書、ウォーキング
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相続アドバイザー協議会
上級アドバイザー

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